文明の利器3

ギャラリー銀乃月

2025年05月06日 17:23

皆様こんにちは、ゆうです。
いつの間にか新緑が映える季節になっております。
バタバタしていると気持ちに余裕がなく、書こうという気持ちに、というかパソコンに向かおうという気になかなかなりませんでした。
物書きさんや常に発信できるブロガーさんってすごいな~と改めて思いました。

さて、今回は文明の利器2「情報」のその2に当たります。ややこしいなぁ~。

この1年、古墳巡りウォークに参加したのをきっかけに古墳や土器に触れる(本当に触るわけではありません)機会がありました。
先日も地域で出土された埴輪などの展示を観てきました。


その際に埴輪クイズをやっていたので参加し、ちょっと観るつもりだったのに結構長い時間かかってしまいました。
古墳時代の埴輪って結構かわいいですよ。

さて、古墳巡りウォークのときに、よく知らない道しるべの解説を聞く機会があり、そこいら辺に立っている杭の様な道しるべには地域密着の謂れがあることを知りました。
先日、いつも車です~っと通過してしまう細道にその杭のような道しるべがあることに気づき、出来心でその背景を知りたくなってしまいました。
そこで登場、文明の利器!
ネット検索です。

「保道」…なんて読むんだろう、がきっかけです。


どうやら明治時代に三方原開拓に尽力した方の一人、横田保さんが浜北の内野から三方原台地の茶園へと毎日馬で通う道(10km弱?)を保道と呼んだみたいです。たもつさんの名前から来ているのですね。



三方原台地の開拓を進めた方で、製糸所を設立したり植物の栽培を行ったりと色々尽力されたようです。
そのときに共に尽力された開拓の祖、気賀林さんと共に百里園という茶園を創設され、2代目園長になられたとか。

ここで新しい気になるポイント「百里園」。
バス停でも出てくる百里園。バス停近くに百里饅頭とい名前の和菓子を売っている百里堂というお店があるので、バス停はそれ由来かと思っていましたが、実は百里園が先なのですね。そうですよね~。ちなみに、百里園という交差点もあります。
今は富士葬祭三方原の敷地に百里園製茶工場跡の道しるべが立っています。



気になるポイント2!
気賀林さん
気賀の防風林か??なんて思ったら、実は人名でした。
気賀村の気賀家に養子いりされたそうですが、県下初の国立銀行の設立に関わり、最高出資者として副頭取に就任されたとか。
晩年社会事業に打ち込んだことから名士と言えますね。
気賀村…気賀には関所がありました。
どうやら関所とは直接関係は無いようですが、地名が名字ということはよくあること。村名を冠するのであれば関係ある?とも思ってしまいますが、まぁジモティーということでしょうか。

と、気になることをどんどん検索できるネットは便利ですね~。
情報の取捨選択や正確性の判断は必要ですね。うまく付き合って行きたいものです。

それではまた。
 
 

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